5月7日、10連休も終わり、いよいよ今日からお仕事再開ですが、今週は4日仕事すれば、今週末はいよいよ静岡走ろう会年次総会が開催されます。まだちょっと僕はGWボケ気味ですが、がんばって今週乗り切りたいと思います。さて、去る4月21日開催された奥熊野いだ天ウルトラマラソンのレポートを、去る5月1日にうら若きミッシーさまから受け取っていたのですが、タイミング合わずそのままになっておりましたので、今日から3回に分けてお送りしたいと思います(今回も5,666字もありましたので💦)。では、早速その第1回目をご覧ください。もちろんまだまだレースは始まりません、というかこれって、奥熊野いだ天ウルトラマラソンのレポートではないような...。では、うら若きミッシーさま、レポートお願いします!
久しぶりの投稿です。相変わらずの自分視点で書きたいように書いていますので、走るうえにおいてあまり役立ちません(苦笑)。ですので、大会要領等については、<Y口さん編>をごらんください。
【1.出場のきっかけ】
一年前、この大会を走破したチカちゃんから送られてきた写真には、出走時の暗闇の中、護摩木をくべる炎がめらめらと燃える「お焚き上げ」が写っていて、その印象は強烈でした。このバックには、世界遺産の「那智の大滝」があるという・・・。なんと荘厳な・・・。
私は、その時、山口県周防大島で70kを走り終えたばかりの身体を横たえて、ヤシの木の揺れる音を聞きつつ、スマホの中のその写真の、まったく対照的なその光景をこの目でぜひ見たいものだと思いました。
【2.元気のなかった日々と、「みえ松坂マラソン」でのレジェンドTさんとの出会い】
今回、100kを走るのは9月の秋田内陸UM以来の7カ月ぶりとあって、まったく自信が持てないでいました。昨年10~12月は、身内3人を立て続けに亡くし、南伊豆みちくさ、壱岐ウルトラを含む3つの大会をキャンセルしていました。愛別離苦の悲しみの中、苦しさをみずから求める心境にはなかなかなれずにおり、再び長い距離などを走る気力がどうしても湧いてこなかったのです。
半年前にエントリーした「みえ松坂マラソン」を自信のないまま、12月17日、走りに行きました。松阪牛を食べに(笑) 気楽でした。食べにですからね。
前日には、小津安二郎の記念館で映画好きな少年時代の展示をみたり、本居宣長の展示館で、本業と二足の草鞋の古典解読に精をだした天才の人生を知ったりするうちに、自分も好きなことをがんばらなきゃな...と思えてきました。
さて、強風の「みえ松坂マラソン」では、運命的な出会いがありました。
走り終えて、駅までのシャトルバスを、足を踏み鳴らしながら待っていると、前にならぶ男性が「ああ、風の強い大会だったなぁ...。」とひとりごちたのです。
実は、その時までに私の目はその男性ランナーの履いている靴にくぎ付けになっていました…。
その靴は見覚えがあるどころか、わたしが走り始めてまもなくの2012年頃以降、愛用していた、ニューバランス製・間寛平モデルのまさにその靴でした。寛平ちゃんがアースチャレンジに履いた黄緑・ピンク・黄・青のモデルではなく、紫やピンクやブルーを基調にしたデザインなので、ウエアと合わせやすくて、重宝しており、その靴とともにいろいろな大会に出たものでした。でも、底はすり減り、サイドの布部分もほつれて穴があき、泣く泣くお別れした靴でした。
でも、なぜ、まだ現役でここにいるのだろう…。
まぼろしを見ているみたいでした。その靴は8,9年前でも、ネットで探しても、26cmとか大きなものばかりで、24cmの自分に合うサイズは残っていませんでした。その後も参加した大会の更衣室で、やはりそのモデルを履いている女性ランナーに会うことがあった時も、「いい靴ですよね…。大好きでした。」と話すと、「ゆずりましょうか」とおっしゃってくれて、ためらいながらもサイズを聞くと(苦笑)、23cmとかで、完全にアウトでした。そんな思い出が頭によみがえった後、はっと我に返ります。
「ええ、寒いですね...。でも、その靴、ずっと前のですよね?なぜ今も現役なのでしょうか。」
「この靴は、移動専用なのです。レース用は別にあるからです。」
千葉からいらしているそのランナーは81才。驚きました。...70台前半にしか見えない...。ランナーズの一才刻みで1位にランクされていらっしゃる。さらにびっくりしました。レジェンドです。
毎日、必ず走ることを続けていて、連続1350日であるとか、大会を今まで750回出ているとか、サロマンブルーのうえ、9月に私が出た、秋田内陸UMも出てらして、クリスタルの称号をお持ちでいらっしゃるとか(ちなみにそれは、10回出るともらえる称号です...)。
「じゃ、あの秋田杉の厚板の完走証を10枚も...!」
「はい。数枚ならいいけれど、さすがに飾るには場所を取るのです、あれは。」
ランニング談義に花が咲き、話は尽きず、バスを電車に乗り換えて、お別れする四日市までご一緒しました。レジェンドはLINEもアプリも使いこなしていらっしゃるので、LINEを交換してお別れしました(娘さんが教えてくださるらしいです...)。この方の語り口はやわらかで、ものの見方に感謝とか思いやりがあり、話したあとのこころにほわっとあたたかいものが残りました。
「...かくありたい...。」
~つづく~
これって、奥熊野いだ天ウルトラマラソンのレポートというか、みえ松坂マラソンのレポートのような気がするのは僕だけですかね💦 そしてミッシーさま、大会出るたんびに誰かしらと知り合いになってますよね、まあいいですけど(^^; それにしても、このレジェンド81歳でフル5時間切りとは、恐れ入り谷の鬼子母神(゚д゚)!タイムが落ちてるのを歳のせいにはできませんな。ということで、線路は続くよどこまでも。つづきは明日お伝えします。明日は奥熊野いだ天のレースのもようがでてきますので、お楽しみに✋
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