昨日のブログでは、ネット記事や何冊かの本を元に「ランニングの効用」について書かせてもらったが、今日は別の観点から「走る」ということについて考えてみたいと思う。キーワードは...
「現代人は狩猟採集民の本能で生きている」
(『早回し全歴史』)
1.走った後の「多幸感」
狩猟採集民は、獲物を捕らえるために長い距離を走り、危険な猛獣から逃げたりしながら生活をしていた。それゆえ、脳は身体を活発に動かすとドーパミンを放出して気分が爽快になるようにプログラムされ、ホモサピエンスはそのしくみを手に入れた生物として、進化の過程で淘汰されず、これまで絶滅せず生きていることができている。
「私たちがランニングやウォーキングをして家に戻ると、脳は食べ物や新しい住処を探していたのだと解釈し、報酬として多幸感を与えてくれる。(中略)幸せな気分になれるのは、生存の可能性を増やす行為をしたときだけだ。」
(『一流の頭脳』)
2.進化の過程で組み込まれたしくみ
狩猟採集民族は、狩猟の際、息が苦しくなるほど長い距離を走らなくてはならなかったり、足首を捻挫しても獲物を追い続けなければならない生活をしていた。
「ランナーズハイが長距離を走り続けて獲物を仕留めるための、もともと身体に備わった仕組みであることを指し示す証拠は様々ある」
(『一流の頭脳』)
もちろん現代では、狩猟をする必要などない。
「しかし、わたしたちの遺伝子には狩猟採集の行動様式がしっかり組み込まれていて、脳がそれをつかさどるようになっている。したがって、その活動をやめてしまうと、10万年以上にわたって調整されてきたデリケートな生物学的バランスを壊すことになる。」
(『脳を鍛えるには運動しかない』)
3.Curiosity~好奇心~
狩猟採集民は、居住していた地域から食物が枯渇すると新しい場所を探しに移動を繰り返した。ベーリング海峡を渡って南北アメリカ大陸に渡ったり、危険に満ちた海を渡ってオーストラリアやハワイやイースター島まで進出した。
「石器時代の航海は簡単ではなく、人類が狩猟採集のためにオーストリアに進出したことは、月面着陸にも匹敵するほどのことだった。」
(『早回し全歴史』)
(九州大学総合研究博物館HPより)
この恐るべき行動力を突き動かしているのは一体何なのだろう。もちろん、生きていくための食料や住処を確保しなければならないからだ。しかし、安全が担保されていない未知の世界に向かうのは、きっと遺伝子に「好奇心」という要素が組み込まれたからなのではないか、と思う。トレランで山の中を走っていると、ときどき本能で走っているような感覚を覚えることがある。また、新しいルートの分岐を見つけると「この先どうなっているんだろう」という「好奇心」に駆られることがある。
「食欲」という本能を「食べること」で満たすように、「走ること」はホモサピエンスに刻み込まれた「本能を満たすこと」なのかもしれない。だから僕はこれから、「走ること」=「辛いこと」ではなく、「本能を満たす楽しいこと」だということに想いを馳せ、寒い朝も風の強い朝も、一歩踏み出し走りだそうと思う。
* * * * *
ということで、こうやって、(いろいろ次から次と起こる社会事件も紛争も)狩猟採集民に置き換えたらどういう解釈になるかという視点で考えてみると、いろいろ面白いですね(^^) そして、こういう写真👇に写っている会員のみなさん、だんだん狩猟採集民族に見えてきませんかー(笑)
0コメント