(昨日のあらすじ)
原因不明の右半身の痺れを抱えながらエントリーした京都マラソン2022。もし僕がM-shitaさんだったら、病気のことも公表しないでこっそりDNSしてたけれど、M-shitaさんは自分と真正面に向き合い、2月19日午前9時、Sブロックから堂々スタート。途中、フルマラソン150戦を東京で達成しようとしているドクターS村先生と遭遇。「こんなにアップダウン多い大会でしたっけ」などと談笑しながら、しばらく並走してたものの、S村先生の背中が徐々に遠くなっていった…。
京都マラソン参戦記 2/2
走った距離は裏切らない
の言葉通り、15キロを過ぎたあたりから早くも弱気な自分が現れ始め、バランスの悪い身体も悲鳴をあげ始めていた。それでも5キロ通過する度、応援ナビで応援してくれている人たちの顔が浮かび、なんとかモチベーションを保っていた。
しかしハーフを通過したあたりから、更にネガティブな感情が強まってきて、「良くやったよ。言い訳はいくらでもあるよ」と耳元で囁かれているような感覚に度々襲われるようになった。そして例年舞子さんが応援してくれる京都府立植物園までは頑張ろうと足を進めた。
この辺は応援スポットで一般の応援も多く元気付けられ舞子さんの応援もあってか、何とか気持ちも取り戻し鴨川を走って30キロまでは頑張ろうと軌道修正。しかし身体のバランスを崩れる一方で気を抜くと病気の特徴で前のめりに身体が傾いてしまい、必要以上に大腿四頭筋を使うという悪循環となっていた。
3年前とは違い舗装されて走りやすくなった鴨川沿いを走り切り32キロ。あと10キロを切り、ここまで来たら這ってでもゴールを目指そうという気持ちに変わった。しかしながら思いとは裏腹に身体は前に出ず、時折立ち止まって屈伸したり、エイドでは歩きながら補給して気持ちを整えて、とにかく一歩ずつと思い前に進んだ。
終盤、37キロ過ぎからの銀閣寺へ向かう緩やかな坂道も今回ばかりは斜度が5割増しに感じた。
そしてようやく40キロ通過。
沿道からは途切れることのない声援。「おかえりなさい。いけるよ。あきらめないで」などたくさんの声が飛び、平安神宮が見えたあたりからは、安堵からか一気に涙が溢れ出し、雨と汗も混じり、前が見えなくなるほどだった。
そして4時間46分40秒で満身創痍のゴール。
何度も折れかけた心を引き戻し、ゴールに辿り着けたことは決して自分だけのものではなく改めて応援のありがたさを感じたレースとなった。応援いただいたみなさん本当にありがとうございました。
と、当日の天気のようになんか湿っぽい投稿となってしまいましたが、レース後は旅ランの醍醐味である地元の美味しいお酒と肴を求めて先斗町にくりだし、自分で自分を褒め過ぎたことは言うまでもありません。
今後は、主治医の先生から身体を動かすことがリハビリに繋がると言われているので、引きこもることなくパークランや練習会に顔を出して行きたいと思っています。いつもながら長文駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
~おしまい~
3年前に自己ベスト2時間55分31秒でゴールした人が、4時間46分40秒で満身創痍のゴールして、しかも400m手前から「一気に涙が溢れ出し、雨と汗も混じり、前が見えなくなるほどだった。」って、そりゃもう読んでる方が泣けますわ。同じ病気を支援する会があったら(たぶんあると思うけど)、こんな人がいますよって、メールで連絡とりたいくらい。マラソンって、ランナー一人ひとりが多かれ少なかれ何かしらの苦悩やらハンディを背負って走っているけど、それって「結果としての単なるタイム」だけじゃその深みを理解できないですよね。人生も同じ。一見、幸せそうに生きている人も、実はシンクロナイズドスイミングみたいに水面下では必死に足を動かしている。What a wonderful world!時に理不尽な面を見せる人生とは、なんと奥行の深きかな。そんなことを考えさせてもらえるすばらしい投稿でした。M-shitaさん、ほんと、僕らに勇気をくれてありがとうございます!ぜひ、次のチャレンジも、みんなで見守らせてください。北島康介的に言うなれば、この投稿を前には「なんも言えねぇ~」、です!
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