僕と妻は職場が近く、僕の出社時間は午前9時なので、午前8時30分過ぎに家を出れば十分間に合うのだけれど、妻の出社時間が8時30分で一緒に車で通勤するとなると、僕は否応なしに午前8時過ぎに家を出ねばならない。そうすると、ちょっと寝坊しただけで朝のジョグは短縮ないしはパスせねばならなくなることもあり、また午前8時から放映されている朝ドラ『あんぱん』も中途半端に見ることになり(車にTVはついているのだが、走行中は映像が映らないようになっている)、結局夜録画したものをもう一度見直すことになる。いや、決して、会のブログを通じて妻に対して「別々に出勤することにしよう」と提案しているわけではない。家庭内力関係(軍事力とか政治力とかそういうものだ)から、そんなことを口に出したとたん、均衡が崩れこれまでじっくり築いてきた相互抑止力が一気に崩壊してしまう。心から一緒に出社したいと思っているよ、ほんとうに。そんな中、問題は簡単に解決した。今まで知らなかったんだけれど、BSでは午前7時30分から『あんぱん』が放映されていることを最近知ったのだ。
これにより、午前6時起床→午前6時50分から30分ジョグ→午前7時30分から『あんぱん』→午前8時5分出発という、ニュー・ルーティンが完成した。すばらしいことだ!そして、その『あんぱん』は、アンパンマンの作者やなせたかし氏の生涯をもとに描かれたドラマ。どこまでが史実で、どこまでがフィクションなのか気になっていたけれど、昨日『やなせたかしの生涯~アンパンマンとぼく~』という本を読んで、いろいろ「へぇ~、そうだったんだ」と思うこと多数。
☑ 嵩の命名は高い山、弟の千尋は深い海
☑ 嵩とのぶは幼なじみではなかった
☑ のぶの生家ではあんぱんは売ってなかった
☑ 「手のひらを太陽に」の作詞はやなせたかしだった
☑ やなせたかしは手塚治虫のアニメ制作で、キャラクターデザインをしたことがある
☑ 『アンパンマン』が刊行されたのはやなせたかしが54歳のときだった
☑ 三越の包装紙は画家の猪熊弦一郎氏のデザインだが「mitsukoshi」のレタリングを入れたのは当時三越宣伝部の社員だったやなせたかしだった
やなせたかしは22歳から26歳という作家にとっては重要な期間を戦争に翻弄され、弟は戦死し、戦後いろいろな仕事を経て、さまざまな出会いをして、人生の後半で「なんのために生きるか」「正義とはなにか」をこどもたちに訴え続けた。
ある日を境にして逆転してしまう正義は、本当の正義ではない。(中略)もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかが空いている人に食べ物を分けること。
ドラマ中で柳瀬博(竹野内豊)のセリフ「絶望の隣はにゃ……希望じゃ」は、やなせたかしの次の詩が元になっていた。
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりの人に聞いた
「あなたはいったい
誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」
ということで、すっかり「あんぱん」ファンになってしまったわが家。史実はある程度把握したため、朝ドラ見ながら、「これは事実だけど、これは事実じゃないんだぜ」と無用な解説で、家庭内力関係の均衡が崩れないよう気をつけたいと思います。そして、やなせたかし本、2冊目を読み始めました。ほいたらね✋
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2025.06.13 22:04
2025.06.13 14:01