Personal history『思い出のマラソン』vol.3-2~日本平桜マラソン~

昨日・今日と12月とは思えない暖かさ。こんなあったかい12月なんて、あったかい。でも、これから急に寒くなってきて、週末の袋井メロンマラソンのスタート時点の予想気温はなんと5.8℃!まあ暑いよりはいいんですけど、こんなに気温差が激しいと体調崩さないように気をつけないといけないですね。

さて、おまたせしましたA木さんの自分史から、日本平桜マラソンへの想い、走ることへの想い、先輩ランナーへの想いをお送りいたします。




日本平桜マラソンは走ろう会会員であったO島勇さん(故人)が初回から運営の役員をなさり、平成16年に桜マラソン20周年の時『日本平桜マラソンと共に20年、我が生涯の日々』と題して本を出版されました。以下、その時に掲載していただいた私の「回想文」です。


「感動を共有できる幸せ」

「桜マラソン第20回を迎えた今年、20年続けてきたマラソンの魅力は何であつたのかと改めて考えています。20年前初めて5キロを完走した時の感激、その後、10キロ、ハーフのレース、その年の11月に初マラソンの完走と、私を次々に虜にしていきました。桜マラソンには、第2回大会に23キロの部に出場し、その高低差の厳しいコースは20年のマラソンの歴史の中でもずば抜けて大変なコースだったと思いますが、なぜかゴールした時のあのさわやかな感激は今でも鮮烈に覚えています。


満開の桜に菜の花のコントラスト、頂上の日本平ホテルからの富士山と駿河湾の日本一の絶景を走るマラソンは、コースも日本一厳しいかもしれません。その後何度か23キロに挑戦しましたが、あの厳しい坂は楽には走れませんでした。でも、苦しければ苦しいほど感動は比例して、大きいものだと実感するようになりました。


…マラソンは個人競技ではあるけれど、一人で20年以上も走り続けることは絶対にできなかったと思っています。感動を共有している多くの走友がいる幸せは、私の人生にかけがえのないものです。20年目を過ぎた今、夢中で走るよりも『マラソンを楽しむ心境』へと変化し、これから先、長く走れる練習を模索しています。20年間一緒に走ってきた走友とは、練習もレースもいつも一緒です。四季折々の花や景色を楽しみながら、安倍川の土手を20年後も走っているすがたを想像しています。


生きている限り、夢、挑戦を持ち続けていきたいと思っています。私も走友もO島さん同様、マラソン人間になりそうです。『継続は力なり』は私の大好きな言葉です。」


【以上文集より(抜粋)】  


O島さんは平成11年頃から癌と闘われ、治療、再発を繰り返しながらもマラソンを続けられ、生涯現役のマラソンランナーでした。桜マラソンには、後年ゴールドコーストマラソンで仲良くなった走友たちが、東京、横浜、川崎、富士から参加してくれました。平成28年頃からは、箱根駅伝3連覇を成し遂げた青山学院大学等が日本平マラソンを日本一過酷なレースとして参加するようになり、地元のレースとして益々人気のマラソンとなってきています。




スマホで読まれている方が大半かと思い、大変失礼ながら抜粋での掲載とさせていただきましたが、ほんと名文ラッシュ。「マラソンは個人競技ではあるけれど、一人で20年以上も走り続けることは絶対にできなかった」、「生きている限り、夢、挑戦を持ち続けていきたいと思っています。」。こんな素敵な視点で、走ることや、人生について見つめられる日がいつ来るのやら^^;こういう先輩方がいてくれるからこそ、静岡走ろう会は居心地がいいんですよね(^^)そしてですね、次は僕たちが次の世代に「感動を共有できる幸せ」、「走ることの魅力」を発信していかねばならないと、そう思った次第でございます。静岡走ろう会会員現在70名、これからもずっとバトンを渡し続けてきましょう!

Photo by Tomasz Woźniak on Unsplash


静岡走ろう会

1975年発足の静岡のランニングクラブ。 現「静岡マラソン」の前身となる「駿府マラソン」を立ち上げた歴史あるクラブです。 現在の会員数144名。月2回の練習会に加え、年数回マイクロバスをチャーターしてマラソンツアーを実施しています。 新規会員、募集中。まずは一度、体験参加してみませんか?

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