ケルビン・キプトゥム(続報まとめ)

(JIJI.comより)


昨日お伝えしたアシックスの株価、さすがに三連騰はないだろうと思ってましたが、昨日の終値は前日比+149円で、そのまさかの三連騰。もうこうなったら、アシックスさま、「年初来高値記念バーゲン」でメタスピード安く販売してくれないでしょうか(笑)


(Yahoo!ファイナンスより)



さて、先日もお伝えしたマラソン世界記録保持者(2時間00分35秒)のケルビン・キプトゥムの訃報、ネット上にはその後いろいろな報道が流れていますが、僕は2時間00分台を出した新星ということくらいしか知識がなかったので、いくつかの報道やWikipediaなどをもとに今回はそのケルビン・キプトゥムについて簡単にまとめてみたいと思います。



ケルビン・キプトゥムは1999年12月2日のケニア生まれ。貧しい村で生まれ育ったキプトゥムは、家畜を放牧しながら13歳の頃からロードで練習を始めた。トラックで練習しなかったのは、「エルドレットに行くお金も、キプチョゲ・ケイノスタジアムにトラックセッションをしに行くお金もなかった」から。初出場した主要大会には、シューズを買えなかったため、借りたシューズで走った。


18歳のときにケニアで開催されたハーフマラソンを1時間02分1秒で優勝し、21歳バレンシア・ハーフマラソンで58分42秒で自己ベストを達成。その頃から師事したコーチのハキジマナ氏によれば、回復のための日やオフの日はほとんどなく、火曜日と土曜日はトラックやファルトレク、それ以外の曜日は30キロ~40キロ走り込み、特に木曜日と日曜日はマラソンペースで40キロ走を繰り返した。


初フルは23歳となった2022年12月のバレンシアマラソンで、初フルの世界記録2時間01分53秒を樹立。翌2023年4月のロンドンマラソンで2時間01分25秒、そして3回目のフルマラソンとなる同年10月のシカゴマラソンで、キプチョゲの世界記録を塗り替える2時間00分35秒を達成。一躍、世界の寵児となった。


そして24歳になった今年、キプトゥムは「2024年は僕にとっていい年になると思う」と語り、今年4月のロッテルダムマラソンにエントリーし、記者会見では次のように語った。


「この平坦なコースは速いタイムを出すのに適している。ここで、自分の世界記録を破るような走りをしたい。準備がうまくいって、コンディションがよければ、自分にはそれが可能だとわかっている。その場合、サブ2の壁に近づくことになる。だから、それを破ることを目標にしたい。大きな望みに聞こえるかもしれないけど、こういう目標を立てるのは怖くない。人間のエネルギーに限界はないからね」


そして、ロッテルダムのあとにはパリオリンピック。「オリンピックに出場してもし金メダルを獲得できれば、幸せだろう」とも語っていた。


そして、運命の日2024年2月11日夜、自身が運転する車で高速道路を走行中、運転操作を誤り、側溝に突っ込んだ。その側溝の中を約60メートル進んで大きな木に衝突し、同乗していたコーチのハキジマナ氏とともにこの世を去った。


(AFP BB Newsより)


世界に衝撃が走り、妻と二人の子供が残された。貧しい生い立ちから、類まれな才能と他の誰も真似のできないような練習量でスターダムを駆け上がった24歳のランナーが、人類の初の2時間切りを目前に僕らの目の前から忽然と消えた。


まるで、映画のようなストーリーを疾風の如く駆け抜けた人生。


あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。


(AFP BB Newsより)


なお、参考にさせていただいたolympic.comに掲載されていた「ケルビン・キプトゥム、才能あふれるマラソン世界記録保持者が駆け抜けた24年の生涯」という記事。なぜかうまくリンクが貼れませんので、「オリンピック キプトゥム」で検索するとすぐ出てくると思いますから、よろしればぜひご覧ください。


ということで、「命」、「時間」、「自分らしい悔いのない人生」、「努力することの大切さ」、そして「走ることのできる幸せ」、どれも大切にしないとですね。明日は、RISAっちからの投稿をお送りします。お楽しみに✋


(KBT)

静岡走ろう会

1975年発足の静岡のランニングクラブ。 現「静岡マラソン」の前身となる「駿府マラソン」を立ち上げた歴史あるクラブです。 現在の会員数141名。月2回の練習会に加え、年数回マイクロバスをチャーターしてマラソンツアーを実施しています。 新規会員、募集中。まずは一度、体験参加してみませんか?

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